こしょこしょ噺

好きなもののこと。育児のこと。あとはつぶやき。一姫二太郎を育てながらふらふら働いてます。

5歳児の死生観とか

上の子は今「死」という現象に少し敏感です。上の子が身の回りの死に対してぽつぽつと残している言葉を記録します。

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■「クモ神さま」5歳9ヶ月

(自宅マンションの駐輪場にて、下の子がクモを踏み潰してしまったのをじっと見つめていた上の子)
娘:お母さん、ごめんけどちょっと手伝ってくれる?

母:なに?

娘:クモさんのお墓をつくるから

そう言って葉っぱとツツジのお花でお墓をつくった彼女。クモの遺骸は私がその上にのせた。

娘:でも、クモは死んだらお空にのぼってクモ神さまになるんでしょう?

■「赤ちゃんトンボと友達になりたかった」5歳11ヶ月

(同じく自宅マンションの駐輪場にて。死んだガガンボをアリが運んでいくのを見て号泣し始めた上の子。泣きじゃくりながら)

娘:赤ちゃんトンボ(ガガンボ)が・・・もっと、生きられたかもしれないのにアリにつぶされて悲しくなっちゃった。

そう言って泣きながら葉っぱで「お墓」をつくり始めた上の子。しかし今回は残念なことにガガンボの遺骸はすでにアリに運ばれたあとだった

娘:あぁぁぁ・・・お墓に、お墓にのせてあげたかったのにいなくなっちゃった!赤ちゃんトンボとならお友達になれたかもしれないのに。お友達になれなくて悲しかった。

実は上の子は昆虫全般が苦手で殆どさわることもできない。そんな彼女にとって小さな小さなガガンボは、初めての虫のお友達になれるかもしれない存在だったようだ。

(翌日はお休みの日だったので、旦那氏と下の子にはお留守番してもらい上の子とふたりでお茶会に。そこでの会話)

母:昨日は赤ちゃんトンボさんのことでたくさん泣いていたけど、今日はもう大丈夫?

娘:ううん、大丈夫じゃない

母:今日泣いていないのには理由があるの?

娘:だって昨日たくさん泣いたから。もう涙でなくなっちゃった。

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さっきまで生きて動いていたものが死によってもう二度と動かなくなる、関わりあえなくなる、ということの悲しさを、分かりはじめるお年頃のようです。そんな悲しみの拠り所となるようなファンタジーをもっておいて欲しくて、私からは「生き物は死んだらお空にのぼる。お墓をつくるとお空からの目印になるよ」とだけ伝えていたのですが、上の子なりにその言葉をふくらませて自分の中で納得のいく物語に育てているところが素敵だなと思いました。

上の子はもうすぐ6歳。その死生観がどのように今後変化していくのかも、引き続き見守りたいと思います。
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↑「手にえんぴつでおしゃれする」と言ってなにやら描きはじめたのでなんだろうと思っていたらこういうことでした。確かにこれならコスメを持っていなくても色づけが自由自在だね。名案だ!