先日富士山に登ってきました。オニュ氏の聖地巡礼?いいえ、子の学校行事に保護者として付き添っただけです(子が高山病等でリタイアした場合の連れて帰る人員)。ということで今回は、登山経験ほぼゼロのもやしっ子が富士山登山に向けて準備したことや登山中に印象的だったこと、「なぜ山に登るのか」について、推しとも紐づけながら考えたこと、を中心に記録します。

■事前準備
山の装備(ギア)を揃える
事前に学校から配布されたしおりには、20種類以上の持ち物が記載されていました。読んだだけで頭が痛くなってきた私。登山経験豊富な他の保護者から情報を仕入れる傍ら、アウトドア用品専門店に行って店員さんからも色々教えてもらいながら少しずつ揃えていきました。ギア毎に注意すべきポイントは色々あったのですが、モンベルの店員さん曰く、「靴とレインウェア、インナーには課金を惜しまないでください」とのこと。足元と雨濡れ汗濡れ対策、超重要。
体力づくり
趣味程度に踊る以外は普段殆ど運動しない私。かたや今回の目的地は標高3776m、歩行距離14kmの山。さすがに何もしないまま当日を迎えるのはまずいと思い、登山1か月前くらいから週3ペースでランニングを始めました。といっても毎回2km弱の距離をのろのろ走っていただけなのでランニングと呼べるレベルですらなかったかもしれませんが…結果的に、「心拍数が上がってしんどい状態」を経験しておいたことは富士登山にも役に立ったかなと思います。その他、他の保護者が企画してくれた登山に便乗したり、高尾山を家族で登ったり、山道に足を慣れさせることをやりました。
高山病対策
今回一番心配していたのが高山病。概ね2400メートル以上の酸素が薄い高山に登り、酸欠状態に陥った場合に現れる様々な症状(頭痛、吐き気、嘔吐、眠気、顔や手足の浮腫、手のしびれなどなど)のことです。こちらも自分の知識では対策のしようがなかったので、学校からお勧めされた低酸素トレーニング所に行ってアドバイスをもらいました。トレーナーさんいわく、ポイントは「意識呼吸(歩調に合わせて深く息を吐き、短く吸う。そうやって意識的に酸素を取り入れる呼吸をすること)」とのこと。登山中頭痛やふらつきを感じた時も、慌てず騒がず意識呼吸をすること、少しずつ少しずつ登って身体を高度に慣れさせていくことが重要とのことでした。「大きく吐けば、その分吸えますから」ということをトレーナーさんはにこやかに言っていましたが、当たり前のように思えたその言葉の意味を、後に登山中ずっしり実感することになります。
■初日
当日は大人も子どもも元気に全員集合!バスで富士山五合目まで行って高度順化した後にいよいよ登り始めました。

↑高度が上がるにつれて、どんどん背が低くなっていく木。地上と違い背をのばさなくても日光が得られるからだという。葉っぱが生える方向が偏っているのは、そちらから日が差すかららしい
↑頂上は、はるか遠く
六合目の山小屋にて宿泊しました。山小屋には電灯が殆どないため、全員ヘッドライトを装着して中に入り、そのまま二段ベッドがずらりと並んだような部屋の中、各自ヘッドライトの灯りを頼りに荷物を整理したり夕食を食べたりするサバイバルぶりです。この時点で既に体調不良気味の保護者もいましたが、今回引率してくれた女性ガイドさんが、「重装備を背負って一日歩き続ければ、それだけで首や背中の血流が悪くなって、高山病につながることもあるんですよ」と穏やかに言いながら慣れた手つきで保護者の背中をマッサージするとみるみるご本人の顔色がよくなっていて驚きました。朗らかでパワフルで気遣いたっぷりの、とても素敵なガイドさんだったな。私自身はこの時点では高山病症状は全くなく、足の疲れもそこまでひどくはなかったのでまだ余裕があった気がします。
■二日目
4時に起床し、そのまま山小屋から御来光を見た後に頂上に向けて出発しました。
↑夜明け直前。雲の平原を下に見る


↑七合目から先はいよいよ植物もなくなり、火山らしい岩だらけの道が続く
↑急斜面。溶岩だった石たちが風に吹かれてぶつかり合う音なのか?「カラカラ…カラカラ…」という乾いた音が聴こえていたのが印象的
低酸素状態
前日夜中から手のむくみと頭痛が始まった私。「これが高山病の初期症状か…」と思いながら意識呼吸をして一旦は症状が治まりました。が、七合目を越えたあたりから頭痛が再発。油断すると頭がふらつく状態に。下手に息を吸うと余計に気持ち悪くなるので、とにかく大げさに息をふぅーーーーーっと吐いて、少し吸って、大きく吐いて…低酸素室のトレーナーさんの言葉を思い出しながら必死で呼吸を続けました。そのおかげか、二日目下山するまでは頭痛が続いたものの無事に歩き続けることができました。良い空気を吸いたければとにかく息を吐くこと。
レジリエンス
今回の登山合宿の主役はあくまで子ども達です。小学校低学年の小さな子どもたちが、自分と同じくらいの大きさのリュックを背負って一歩一歩山を歩く姿は、それだけで胸がいっぱいになる光景でした。やはり子ども達の中でも高山病になりかけの子、ただただ足が痛くなってしまった子、辛くて泣き出してしまう子もいました。幼い子どもが富士登山をするということには一歩間違えれば大変な危険が伴うし、その活動自体に賛否あると思います。が、山の経験豊富な職員方による入念な事前準備とフォロー体制のもと、敢えてそれぞれの子どもが本来持つ力を信じて挑戦してもらう、ということに関して私は全面的に賛同しています。実際、不調を訴えた子達にはすぐさま職員が状況に応じた処置を行い、「もう少し、歩けるかな?」と本人に意志確認を行っていて、殆どの子は泣きながら、それでも「やる」と答えてそのまま歩き続けていた。周りの子ども達が「●●かんばれ、大丈夫だよ」「いい感じだよ」「フレーフレー!」と声をかけて、それを更に大人たちが声をかけ見守りながら(私以外にも不調を抱えながら登っている保護者はいたが、その不調は一旦脇に置いてでも声をかけずにはいられない状況だった)歩みを進める…そんな光景がそこここで見られました。子ども達自身の素晴らしいレジリエンス(困難やストレスに直面した際に、それを乗り越え、立ち直る力)の発揮と、それをフォローする周囲の頼もしさと、そんな光景に何よりも励まされている自分自身と…いろいろなことが感じられる時間でした。
↑頂上まであと少し、元気に歌を歌う子、「フレーフレー!」と言いながら歩く子、泣きながら職員に身体を支えられながらそれでも歩く子…それぞれのペースで歩みを進めていた。私自身は、頭痛と闘いながら最後の方は岩を必死につかみ這いつくばるようにしながらの登頂だった。ちなみに娘は今回ペースを崩すことなく先頭集団で元気に登頂。家ではYoutubeを延々と見続けている子なのにいつの間にそんな体力がついたのか?一足先に頂上についた彼女が、他の子と一緒にニコニコしながら後続隊を見て手を振っていた姿は忘れられない
↑頂上に到着!ここでヲタク心がよみがえった私。ショルダーポーチに忍ばせていたうさぎくんと認証ショットを撮影
↑下りが地味かつ足に負荷がかかってきつかったということもそっと最後に述べておきます…トントンカッカザンザン
■富士登山総括
雨が降れば傘をさす、道行く人とは目も合わさずすれ違う。雲は見上げるもの、息をしているかどうかなんて気にもとめない…それが私の日常です。でも、山に登ればそれは変わる。少しの雨なら気にしない。雨が強まればレインウェアを着て歩き続ける。道行く人にはお互いに「こんにちは」と声をかけあい時には微笑み合ったりする。雲は自分のすぐ目の前あるいは下にあり、そうしている間も一生懸命息をし続けてようやく立っていることができる。
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岩や砂だらけの山道、高山病との闘い…そういったハードルを承知で、なぜ人は富士山に登るのでしょうか?日本一高い山に一生に一度は登ってみたいという欲は、もちろん理由としてあると思います。
それに加えて今回私自身が強く感じたことは、富士登山とは「自分にとっての当たり前は当たり前ではないということ」「視点の転換」をすごく分かりやすい形で体感できる活動であり、それを通して自分というものにしっかり向き合わざるを得ない活動だということです。オニュさんが登った山だということはよく知っていたはずなのに、山を登って降りて、こうして振り返る時までそれを思い出すことは殆どありませんでした。ただひたすらに、前を歩く子ども達一人一人の姿と、平地とは全く違う目の前の光景、そして、自分の呼吸に集中していた気がします。一緒に登る人達とのコミュニケーションはもちろんありつつ、それでも富士登山とは極めて個人的で、かつ内省的な活動だとそう思いました。正直言って苦行のような時間もあったけど、それでもまた登ってみようかと私が思うのは、そういう理由かもしれません。
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富士山の頂上に立ち、そこから見える景色に見惚れていたオニュさんの頭に浮かんだ願い事が「また(ファンの)皆に会えますように」だったとのこと(2024年のファンミでのメントより)。富士登山のハードさや、その活動の内省的な一面を経験した今、オニュさんがとった行動の重みとありがたさがより強く身にしみます。ファンと繋がり合うことを強く願い行動し続けてくれて、ありがとう。いよいよ始まる新作のカムバック活動も心から応援しています。
ということで、最後はヲタ活ブログっぽい内容で今回の文章を締めくくりたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました!