こしょこしょ噺

好きなもののこと。育児のこと。あとはつぶやき。一姫二太郎を育てながらふらふら働いてます。

良い夢を見るということ

先日は自分的に非常に苦しく、家族にも不機嫌をまき散らした不甲斐無い1日でした。それも夢から目覚めて絶望したからという子どものような理由で。特に上の子に対してはせめてなぜこのように理不尽に怒っているのかという理由は分かるように説明しようと思い、夜彼女に謝ると共にお話ししてみたけど、だったら最初から機嫌管理しろよ、でしかない。

↑下の子のお昼寝中、辛うじて平静を保つことができたので上の子とお絵描きした。

「良い夢」とは、一体何だろう。もし、目覚めた時に前向きな気持ちで一日をスタートできる夢を良い夢と仮定するならば、先日のそれは最悪でした。現実では決して叶わないことが分かっている奇跡が起こる夢。夢はきれいに色づいて、その中の自分は元気で、よく笑っていました。日頃は諦めて、押し殺して、うまく見ないふりをし続けている気持ちを、よりにもよって自分の無意識が夢として見せつけてきた気がして、個人的にかなりきつかったです。目覚めた時、かなしくて独りで泣きました。そして子どものおねしょしたよ宣言に一挙に現実に引き戻され容赦なく一日がスタートしたという訳です。

その夢を客観的に描いてみたら、たぶんすごくきれいで、良い夢、なのかもしれない。そんなきれいな夢を観れたのに、きれいをきれいのまま愛でることができないことが、ただただかなしかったです。

本質的な解決でないのは100も承知で、昨晩は「怖い夢をみますように」と願い事をして眠りにつきました。おかげで、昨晩の夢は「下の階の住人が激怒しながら部屋に入ってきて騒音に関するクレームを述べてくる」夢でした。夢の中で懸命に対話して何とか和解できそう、というところで目が覚めて、心からほっとして一日を始めることができたので、私にはこれぐらいのテンションの夢がちょうどいいんだと思います。

こんな調子なので、他者に対しても「良い夢みてねー」という趣旨のメッセージは発信したことがないです。相手にとっての良い夢が何なのかが想像しきれないから、「ぐっすりお休みー」とかの表現にしてる気がします。うぅん、どうでもええこと気にしすぎ。